続・バレンタイン

(まだ通常バレンタイン書いてないけど)

『昼休み。屋上。』
 チャット画面に表示されたメッセージは簡潔だ。いつもの事ながら、もう少しちゃんと書けよと竜司ですら思う。
(言いたいことはわかるからいいんだろうけど)
 きっと他の仲間も似たようなことを考えてそのままにしているから、この先もこんな調子なんだろう。皆、圭には甘い。「彼はあれでいいのよ」「伝わるんだから問題ないだろう」なんて言ってあっさり受け入れる。そして、当人もそれをわかっているのか改めることはしない。まして竜司相手にはそれが顕著になる。時に無茶ぶりとも思えることをやってくるのが困りものだが、悪い気はしない。仲間に対して甘い甘いと言っている竜司自身が、結局一番甘いのだろう。

 屋上への階段を昇る。念のためにマフラーだけは持ってきた。あそこは今閉鎖されているはずだが、鍵はどうしたのだろう。
 扉のノブに手をかけると引っかかることもなく沈み、押せば軋んだ音をたてながら開いた。ぶわっと身をきるような冷たい風が吹き付けてきて、竜司は思わず目を閉じる。今日は気持ちよく晴れているから気温はそれほど低くはないけれど、一気に浴びればさすがに冷える。身震いをして持ってきたマフラーを巻きながら顔を上げる。
 端の方に乱雑に置かれた机や椅子。昨年の春先、最初のアジトとして使っていた。おそらくあのあたりにいるだろうと当たりをつけていた場所に、圭の姿はなくて首を傾げる。
(早く来すぎたか?)
 見回している竜司の頭上から声がかかる。
「こっちだ」
 声のした方へ顔を向ける。というより見上げる。
 さっき見ていた場所より少し上、給水塔のそばに腰を下ろしている圭の姿が目に入った。
「お前なんてとこにいんだよ」
 危ねえだろ、いいながら慌ててそちらに駆け出す。
「大丈夫。今降りる」
 そう言って、言葉通りに壁を伝い机の上へと危なげなく降りた。下で待っていた竜司が手を差し出すと迷わず掴み、そのまま腕の中に飛び込んでくる。日頃の筋トレの成果もあってか、危なげなく受け止めることが出来てほっとした。そんな竜司の気も知らず、圭は楽しそうだ。小さく声をあげて笑っている。
「何であんなところにいたんだ?」
「暇だったから」
 前の時間が自習だったので早めに抜け出して来たという。待っている間、暇になってなんとなく上を見上げたら登れそうだったから。モルガナがよくこのあたりにいたのを思い出して、こんな景色を見てたのかと見回している時にやっと待ち人が来た。
 竜司たち元にリーダーが帰ってきて、一週間と少し。風邪で寝込んでいて顔を合わせなかった日もあるけれど、短い間だけでも変化はわかりやすかった。以前のどこか張りつめた雰囲気はなりを潜め、肩の力が抜けて穏やかな雰囲気になった。表情も柔らかくなったし、よく笑うようになった。
 出会ってからそろそろ一年が経とうとするけれど、この一年の中でそんな柔らかな表情を見られる機会は少なかった。きっと、こちらが本来の圭の姿なのだろう。竜司と出会う以前はどうだったのかわからないので想像でしかないが、いいことだと思う。声を上げて笑う姿なんてとてもいい。かわいい。
 ただ、少しだけもったいないような気がして残念に思うのは竜司の個人的なわがままだ。これまでそういう姿を見られたのは、竜司や元怪盗団の仲間ぐらいなもので皆で集まっているときですらレアショットなのだから。それがこの短期間で大盤振る舞いだ。
 ゆるくてすっとぼけたところがあって意外と親しみやすい奴だってことは、そんなに広まらなくていいと思う。
(俺の、俺たちだけが知ってれば十分なのにな)
 考え込んでいる竜司をよそに、圭は抱きついていた体を少しだけ離し、ポケットから何かを取り出して差し出してくる。
「作ってきた」
「え?」
「チョコ。バレンタインのやり直し」
「つっても、代わりのもん貰ったろ?」
 それはもうたっぷりとイチャイチャしたのに。
「俺はあんなのじゃ満足しない」
 半ば押しつけられるように渡された茶色の紙袋は、どこにでもありそうなそっけないもので、おそらく店にあったものだろう。重さはそれほどでもない。中を覗いてみると、アルミ箔に包まれた何かが見える。何かというか本人の言によればチョコレートなのだろう。かわいくラッピングという発想がないあたりがとても”らしい”。……されててもそれはそれで怖いけど。
「味はまあ……うん、まずくはない、と思う」
 堂々と渡してきた割に、自信なさげな言葉だ。
「味見してねえの?」
「したけど。なんかそのまんま食べた方が美味しいんじゃ疑惑が」
 素人が溶かして固めて弄くり回すより、板チョコまんまの方が美味しいよ。
「まあ、そうかもしんねーな」
「あ、でも。愛情は込めた」
 ドヤ顔をするのを余所に、手元に目線を落とす。
「つーことは、甘いか辛いか苦いのか」
「……味見したっていったろ。普通だよ普通」
 竜司の言葉に不満げに眉をひそめる圭。
「フツー、なあ……」
 竜司からすると過去の経験の数々、圭が思いを込めたカレーやコーヒーがどんな味だったのか、それらを思うと疑いが晴れない。どれも決してまずくはない、むしろ美味いし癖になるのだけど、なにぶん味の振れ幅がでかすぎる。
 竜司が迷っていると、紙袋が取り上げられる。
「食べたらわかる」
 そう宣言し、袋から取り出されたアルミ箔を開けば、想像していたよりずっとまともにきれいに切り分けられた生チョコが出てきた。アルミ箔とラップで包まれ、添えられているのはどこにでもある爪楊枝と、雑さは隠せていないが。中の一切れを爪楊枝で串刺しにして、口元に差し出される。所謂「あーん」だ。
 眼力に圧されるまま、口を開くとすぐにチョコが突っ込まれる。柔らかなそれは、ココアがややほろ苦く、溶けるにつれて甘みが広がる。
 目の前で、少し不安そうに見上げてくるその表情に、竜司としてはそそられるものがあり、黙ってゆっくり味わう。
「うまい」
 味自体は恐れていたような極端なものではない。かといってものすごく美味なわけでもない。だが、わざわざ慣れないお菓子づくりをしてまで自分に食べさせたいという気持ちが嬉しい。不安と期待が入り交じった顔で見つめられるのもいい。+αが大事なのだ。
「本当に?」
 疑わし気に見てくる、油断したその瞬間を逃さず、顎を捕らえて唇を奪う。重ね合わせた隙間から舌を潜り込ませれば、応えてくれる。
「んっ」 
 舌先に残ったチョコレートの味を分け与えるようにすり付ける。逃げないよう、空いた両手で顔を挟み込む。圭の方は、チョコレートで両手が塞がっているためなにも出来ず、されるがままになるしかない。
「はっ、ぁ……んぅ」
 昼休みの屋上という場所にふさわしくない、艶めかしい吐息がこぼれる。
 思うままに味わい終えると顔を離す。頬を染め、とろんとした瞳がこちらを見てくる。キスの間中、両手で握られていた包みはすっかりぐしゃぐしゃになってしまっているが、味はもう知っているから問題ない。簡単に包みなおして、ポケットにしまってしまう。やっぱり返してなどと言われては困る。
 そうして今度は肩に寄りかかるように抱き寄せる。
「本当に、なにもないのか?」
 圭がこういう突発的な行動に出るときは大抵何かあったときだ。
「なにも……、ただちょっとだけ、あと少しだなって思ったら居ても立ってもいられなくて」
 来年は準備するっていったけど、今年は今年でなにかしたくなったんだ。何かできないか考えていたら
「『リュージはこういうベタなのに弱いだろう』ってモルガナが言ってた」
「あの猫……」
 読まれている。たしかにぐっとくるシチュエーションだったのは間違いないので、竜司もそれ以上のことがいえなかった。
「来年は期待してて。もっとすごいの用意するから」
「……楽しみにしてる」
 今年は始まったばかりで、バレンタインだって終わったばかりだというのに、圭はもう来年のことを考えている。あと三週間ほどで地元に帰るのに。電車を使えば二時間もかからないぐらい、遠距離というほどに遠くはない。かといって、今までのようなちょっと顔が見たくなってと教室に顔を出すとか、思い立って飯に誘って待ち合わせといったことができるような近さでもない。そうやって物理的に離れてしまえば気持ちが離れていく可能性だってある。
 だというのに、圭の言葉にはそういった不安は一切感じられない。信頼と愛情を感じて、胸が熱くなる。
「お前のそういうとこすっげー好き、かも」
「かもってなんだ」
「好きだ」
「よし」
 曖昧な言い回しにダメ出しを食らい言い直すと、ご褒美とばかりに頬にキスを貰った。
 照れ隠しに手を引っ張ると、驚くぐらい冷たい。モルガナの真似をするくらい暇を持て余してここにいたというのなら、それなりの時間が経っているはずだ。掴んだ手をぎゅっと握る。
「礼代わりになんかあったかいもんでも奢るわ」
「やった! うどんがいい」
「食堂は今からじゃきついだろー」
 屋上を出るまでの十数秒だけでも互いを感じていたくて、繋いだ手をぎゅっと握れば同じ強さで握り返された。

2017/02/15