言葉が足りない

 こんなことしなくてもこいつは逃げたりしない。だけどただ余計なものを見ないで、俺だけ見て欲しくて、伸ばした腕で壁に手をつき視界を塞ぐ。そのまま顔を近づけると、状況を飲み込めず目を丸くしていたこいつにも意図が伝わったらしい。俺がしやすいように少し顔を上向け、目を閉じる。目元に睫毛の影が落ち、吸い寄せられるように口づける。少し薄め唇はやわらかくて温かい。ただ口同士をくっつけているだけなのに、なんでこんなに気持ちが良いんだろう。なんでこんなに満たされた気持ちになるんだろう。わかるのは、こいつ相手だからだってことだけだ。俺という人間を丸ごと受け止めてくれる心地よさ。今だって背中に腕が回り抱きしめてくれる。距離がさらに縮まり、互いの体温が心地よい。これ以上だって、そんなに許していいのかってくらい深くまで入り込ませて、それでもいいよと受け入れる。
 唇を少し離しただけの至近距離、少し目が潤んでいるのを見るのも好きだ。こんなにも無防備でいいのだろうか。
「お前、もっと自分を大事にしたほうがいいんじゃねーか」
「……うん? いきなりどうした?」
 首を傾げる仕草も油断しきってるのか少し子供っぽい幼さがある。
「なんつーかさ、……なんかこうもっと抵抗とかしろよ」
「なんで?」
「なんでって……俺だって、その、男なんだしさあ……」
「俺も男だけど」
「そうじゃなくて……って、お前わかってて言ってるだろ……」
 目が笑ってるからわかる。こっちとしては結構真面目な話をしているつもりなので、笑われるのは不本意だと、無言で睨む。
「言いたいことわかるけど、わかるからこそなんでかなって」
感覚的な言葉すぎたかと思ったが、しっかり伝わっているようだ。さすが
「俺がこういうことするの、竜司にだけだから構わない」
「俺は構う。俺もさーなんつーか、男のセキニン?みたいなの感じるわけですよ」
「責任?」
「疲れると飯もろくに食わねえし、それで調子悪そーにしてたり、よろよろ歩いてたりするの見るとさ」
「よろよろはしてない……」
 不満げに眉を寄せる・
「ふらふら」
「ふらふらもしてない……ちょっと歩くのが遅くなるだけ」
「やっぱ負担かかってんじゃん」
「……負担だなんて思ってないし、それで遠慮とかされたくない。したら怒る」
 口では怒ると言いつつ、どちらかと言えば困った顔をしている。
「竜司は気になるかもしれないけど、俺にとっては身体の違和感も含めて、その、う、嬉しいこと、だし……」
 後になるにつれてさすがに恥ずかしいのか視線が逸れて、語尾も弱々しくなっていく。
「嬉しい?」
 頷く。
よくわからない。辛いのに嬉しいっておかしくないか。痛いのが気持ちいいとかそういう……? M宣言? いやいやいやいや。俺の理解が追いついていないのが伝わったのか、頬は赤いままジト目で睨んでくる。
「なんか変な想像してるだろ」
「し、してねーよ!」
 一つ大きくため息をついた後、肩口に寄りかかってくる。耳まで赤い。
「…………求められたって思えるから」もしかして寝たかと思えるくらい間があってからぽつりと。「竜司が、俺のことをそれだけ欲しがってくれたって」
 最後まで聞いていられなかった。考えるより先に身体が動いて、加減無しに抱きしめてしまう。
「いたい」
少し力を緩めてやると、向こうから抱きついてきた。
「だから遠慮なんかいらない。好きなだけ欲しがってくれるほうがいい。けど、それじゃ嫌なんだろ?」
 そうだ、俺はそれが嫌なんだ。
黙って頷くと、背中を宥めるように撫でられる。
「竜司は優しいな」
 しみじみと言われたけど、こいつとお袋くらいだ、そんなこと言うのは。
「……なぁ、俺はお前のこと大事にしたいんだよ、それだけはわかって」
「うん……」
 辛かったりしんどい顔はさせたくないし、まして原因が自分だというのなら俺が自重すべきなのに、こいつはそれは嫌だと言う。互いに譲れない部分があるのは仕方のないことなんだろうけど、ここ最近そういうズレへのもどかしさが募る一方だ。ただ好きだと言っているだけで終われたなら良かったのに。
「それに本当に嫌だったり無理なら、蹴飛ばしてでも拒否る」
「なにを」
「なんだろうな」
 見惚れるぐらい綺麗な笑みだったけど、背筋がぶるっと震えた。

「俺は竜司のものなんだから遠慮しないでどんと来い、さあ来い」
 誘い文句なのに絶妙に色気がない。おそらくさっきの今で恥ずかしいんだろうけど、これは絶対茶化してる。このまま言われっぱなしも悔しいが、俺としてもここは言っておきたいことがある。
「今日は何もしねえ」
「えー」
「お前は俺のものなんだから、黙って大事にされとけばいいんだよ」
「!?」
とっさに逃げようとするのを腕の中に抱き込んで閉じ込める。
「……待って、いや、それはダメ。タイム」
 やることやって、自分は散々好き勝手に口説いてくる癖に、ちょっと俺が強気になるとこうなる。といっても、どこが境目なのか未だに見極められずにいる。
「待たない」
 まだもぞもぞもがいているけど、力じゃ俺に勝てないの、わかってるだろ。
「そろそろ慣れろよ」
「うう……善処する」

2016/12/29