もうすこしがんばりましょう

 モルガナには暇なら身体でも鍛えたらどうだと言われているけれど、正直に言って気が進まない。体力はあればあるほどいいんだろうなと思う。思うが、俺は竜司ほどには身体を鍛えることに興味がないのだ。あいつは陸上部の元エース様だから、地道なトレーニングを苦としない。それが結果に繋がると身をもって知っているからだ。一方の俺はというと、そういうものとは無縁に生きてきたので、まず始めるところからハードルが高い。モルガナに促されたり、竜司に誘われたりしてやっと「やるか……」となる。やり始めると、体を動かすのは割と気持ちいいと思い出すのだけど。そもそも、今の体力でも異世界での仕事に支障はない。現実に帰ってくると何もしたくなくなるぐらいにへばるのは体力だけが問題ではないはずだ。だから猫は竜司とでもトレーニングしていればいいのだ。
そもそも俺は暇ではない。釣り堀のヌシと真剣勝負をしている最中だ。端から見るとよっぽど暇そうに見えるらしいが、”目”を使っても勝利できない手強い相手だ。油断することはできない。

 一通りの依頼と探索を終えての帰路。車中は和やかな雰囲気だ。俺は運転しながら周囲を警戒しつつ、仲間の会話を聞くともなしに聞いていた。
「最近、腕立ての回数がグングン伸びてきてんだよ」
「ジョーカーも結構できるよな。スカルとどっちが強えーかな?」
 ナビがそんなことを言い出した。高く買ってくれるのは嬉しいところだが、
「勝てる気がしない」
「即答かよ!」
「えーそうなん?」
 流れるようなツッコミだ。だが期待に沿うことはできない。
「まあたしかにお前じゃ無理だな。釣りばっかしてるもんな」
 モナまで畳みかけてくる。
「釣りだって腕力はつくから問題ない」
 上がるのは器用さだけど。
「どうせ釣るなら食える魚にしてくれよ。ワガハイが食ってやる」
 そういえば釣った魚を見る目が時々真剣だったな……。
「つーか、サボってる割にはそこそこ筋肉ついてきてるよな、お前」
 言いながらスカルが二の腕のあたりを揉んでくる。セクハラだ。
「運転手へのおさわりは禁止」
「ケチケチすんなよ〜」
 運転中じゃなければ別にいいんが今は困る。肘鉄でも食らわそうかと考えていたところ
「ちょっと、スカル! 危ないことしないでよ。事故ったらどうすんの」
「そうよ、スカル。あまりふざけないで」
 パンサーとクイーン二人から叱られて引き下がった。
「へいへい」
 命拾いしたな。

 そんな会話をメメントスでした数時間後。
「で、今ならいいのか。おさわり」
「……いいけど途中で寝落ちするかも」
「やっぱもう少し体力つけたほうがいいんじゃね?」
呆れ顔で見下ろしてくるので、こちらも負けじと見返す。
「竜司はまだまだ元気そうだな……」
「鍛え方が違うからな!」
「物好きだなあ……」
「いやいや、お前ももっとやろうぜ、筋トレ!」
 屋根裏に着くなりベッドに押し倒されてのこの会話。意外とこういう展開は珍しく、口ぶりよりは竜司も疲れているのかもしれない。疲れているのに、むしろ疲れているから?欲求には素直になってしまったのか。覆い被さってくる恋人の首に腕を絡ませながら考える。

「……平気か?」
「……大丈夫、だけど、もうちょっと」
 汗ばんだ肌をぴったりとくっつけ、荒くなった呼吸を整えながら、繋がった場所が馴染むのを待つ。苦しさやもどかしさもあるが、俺はこの時間が好きだ。見下ろしてくる竜司の、耐えている表情がここでしか見られない色気がある。俺の他には誰も知らない顔。それを独占してると思うと堪らなくなる。こちらを気遣いたい優しさと、すぐにでも動きたい欲とがせめぎ合っている。我慢しなくてもいい、好きにしていいといつも言っているのにそのたび却下される。見た目や態度や過去から粗暴そうなイメージを持たれやすいけれど、こうやって触れ合う時はいつだってこちらがもどかしくなるぐらい穏やかで優しい。俺は男だし割と頑丈に出来てる方だからもっと雑に扱ってくれて構わないのに、竜司はそれでは嫌だというのでそのまま任せている。カッとなりやすい自分を自覚しているようだから、衝動的に動かないように抑えているのだろう。他でもない俺のために。だというのに、そういう理由を察していながらも、時に煽って箍をゆるめようとする俺はあまりいい恋人とはいえないかもしれない。背中や肩や腕をぺたぺたと触る。鍛えているという本人の言通り、成長途上の身体にはしなやかな筋肉がつき始めている。出会った頃はもちろん、こうやって抱き合うようになった夏休みの始め頃と比べても全然違う。とここまで考えて、あの時から今までを比較できるくらい抱き合ってる事実に一人で照れる。そろそろと腹筋にも触れてみる。
「こっちもかなり割れてきたなー」
「…っおまえなあ……」
 この状況わかってんのか、と言われたと思ったら腰を掴まれ揺すられる。
「ひゃっ」
全に油断していたせいで変な声が出てしまった。
「……っ、ま、待って、」
「待てない」
 迂闊にもスイッチを切り替えてしまったこと気づくのが遅れ、すっかり好きにされてしまった。

 なんとか最中の寝落ちは避けられたもののしばらく動く気がせず、おざなりに服を着てベッドに転がっている。竜司はまだ余裕がありそうで、服を身につけるとてきぱきと後始末をしてくれる。楽だ。その横顔を見ながら
「俺さ、走るのは嫌いじゃないよ。自分のペースで走るのは好き」
「お前そういうの得意だよな。パレスでもあんま派手に動かないし」
「あれは行けるところまでは行っておきたいだけ」
 パレスが関わる案件は早い内に済ませたくて、強行軍になりやすい。だから補給物資などの事前の準備に加えて、前線のメンバーを入れ替えたりすることで対応する。俺はリーダーで、ルート確保に有利な目を持っているから抜けられない。だから、大雑把なものだけど一応自分の体力のペース配分には気をつけているつもりだ。そう考えると、やはり体力はつけておいたほうがいいんだろうなあと冒頭に戻る。不測の事態が起きた時に、バテて仲間を危険に晒すようなことは避けたい。今度から竜司のトレーニングにくっついていくか、見張ってもらうかなとぼんやり思う。眠気が急速にやってきて、瞼が落ちてしまいそうだ。頭を撫でてくるあたたかな手のひらの感触を最後に意識が落ちた。

 目をさましたら、竜司がモルガナになっていた。
「お前らなんでそんなに元気なんだよ」
 察して席を外していてくれたのだから、当然なにをしていたのかなんてお見通しだろう。疲れている時に更に疲れることをするなんて訳がわからないよな。やれやれ。時計を確認すると結構な時間眠っていたらしい。その間に戻ってきたモルガナは、竜司に猫缶を開けて貰ってさっさと食事を済ませたらしい。
「食ってる時に電話かかってきて、なんか慌てて帰っていったぜ」
じゃあ本当にさっきまで居たのか。起こしてくれれば良かったのに。なんだか面白くなくて、またベッドに転がる。
俺も空腹を感じないでもないが、食事を摂るには半端な時間だからこのまま寝てしまおうとしたら
「お、そうだ。リュージから伝言。メシはちゃんと食え。以上」
 おかしい。
面倒なときは食事を抜いたり不摂生にしがちな俺だが、誰かが一緒の時は誤魔化す。だから竜司は知らないはずなのに。事情を知っていて且つそれをバラすことができるのは一匹しかいない。
「お前……ばらしたな」
「ワガハイがいくら言っても聞かねえし」
 犯猫はそっぽを向いて悪びれもしない。疲れているからといって食事を抜くのは良くないのも、モルガナが心配して言ってくれたのもわかる。こんな強硬手段に出たのも、ずっと忠告を流し続けていたからだというのも。しかし、それをよりにもよって竜司に勝手に伝えられてしまったのは面白くない。きっと呆れられただろう。だらしない自覚があるから黙っていたのに。
疲れているときは食事の準備も煩わしいし、睡眠を優先したくなるんだよなあ……とそれでも渋っていたら、
「きっと、伝言ぐらいじゃ聞かねえし食わねえだろうからってそれ置いていったぞ」
 竜司にしては冴えた思考だ。猫の入れ知恵かもしれないが、タッグを組むとはなかなか手強い。小さな前足で指し示された先、枕元にゼリータイプの栄養補助飲料が置かれていた。この絶対に栄養を摂れという対応にはさすがに観念するしかなかった。渋々、封を開ける。
「お前って人目があるとしっかりするようで、むしろ適当になるよなあ……」
 祐介だってもっとしっかりしてるぞ
 いや、祐介は変人だけどその辺はちゃんとしている方だと思う。俺よりは。
冷えたゼリーを飲みながら、周囲に甘えっぱなしで生きてるなあと反省した。
だが直すとはいっていない。

 次の日、顔を合わせた途端、俺ではなくモルガナに向かって俺がちゃんと食事をしたか確認してきた。俺に!聞けよ!ちゃんと飲んだのに!と無言で睨みつけたのに、全然堪えた様子もなく「それならよし!」と満足そうに笑うから気が抜けてしまった。

2016/12/29