うたたね

 最初にこうやってこいつが眠るのを見たのはいつ頃のことだったか。まだ出会ってそんなには経っていなかったと思う。トレーニングを始めたあたりだったか。異世界での曲芸のような身のこなしはあくまで向こう限定のものだとわかった。
「俺、インドア派だから……」
俺よりはるかに短時間で息を切らしてしゃがみこみ、情けないことを言う。それでも意欲だけはなかなかのもので、時間を見つけては二人で走った。時々ぼやいたりはするが、一度も止めるといったことはなく、走る姿も最初の頃よりは様になってきた。俺自身も、隣で走る奴がいるからか、やりたいことが出来たからか、あるいは両方か。現役時代にはほど遠いものの徐々に感覚を取り戻しつつあった。身体を鍛えるのは楽しい。それを思い出した。


 その日は新しいメニューを試した後、少し早めに切り上げて荻窪に寄ってラーメンを食べたんだったか。すっかり虜になったと満足げだった。
この頃からこいつは少しずつ明るい表情を見せるようになってきていて、それが妙に嬉しかったのを覚えている。
練習帰り、腹も満たされた。電車が込み合うには少し早い時間だったので揃って座れた。規則正しく心地よい揺れに誘われたのか、隣でこくりこくりと船を漕ぎだした。始めのうちは寝るなよーと声をかけて返事も返ってきたのだが、ついには眠り込んでしまった。隣が女性だったからかもしれないが、寄りかからないように前のめりになっていく。器用だ。大丈夫なのか?と思いながら見守っているうちにどんどん傾いていく。どこまで行くか少し気になったものの、見かねて引っ張り上げ、こちらに寄りかからせる。ここまでしても起きない。首のあたりにふわっとした癖毛があたりくすぐったかった。至近距離だからか電車内の喧噪よりも規則正しい寝息の方がはっきり聞こえる。なんとなく胸がざわついて落ち着かなかった。
結局乗り換えの駅につくまでぐっすりだった奴だが、目覚めたときはさすがに少し驚いていた。肩を借りていたことにも驚き、言い訳のようにあまりこういうことはしないんだけどと、恥ずかしそうに礼を言ってきた。だから俺はからかうように「腹ごなしの運動でもしていけばよかったな」と言い、さっきまで首筋にあたっていた髪を遠慮なくがしがしとかき回した。見た目よりも柔らかくて手に馴染むような髪だ。奴はばつが悪かったのかしばらくは俺のしたいようにさせていた。
 それから時々、あくまで二人の時だけそうやって奴はうたた寝をしたし、俺もそうやって寝てる時にその髪に触れて感触を楽しんだり、起きた時に撫でられて少し迷惑そうな顔をするのを楽しんだものだ。懐きにくい猫に懐かれたらこういう気分になるんだろうか。
 自慢ではないが、四六時中一緒のモルガナを除けば、俺は仲間の中でも一番奴に心を許してもらえていると思うし、だからか無防備な姿もよく見ている。俺と一緒なら大丈夫だと安心しきっているのはやや危ない気がするが、それも俺の最後の最後で臆病になる気質がバレているからなのかもしれない。無害な男だと。(後日この話をしたら「襲ってもいいのに」などとほざいて平然としていたが、本当にやられたら多分逃げている。似た状況でこちらから迫ったら逃げようとしたから)
 この頃から俺は奴との距離をどう取るべきか迷っていた。基本的に奴は他人との触れ合いを好まない……苦手とするようだ。最初にハイタッチをしようとしたときも戸惑っていた。肩や背中を軽く叩くくらいは大丈夫だが、あまりがばっと行くと形容しがたい悲鳴をあげて文字通り飛び上がらんばかりに驚いていたので、以後は気をつけている。いきなり行かなければ大丈夫だ。
「ああいうスキンシップっていうの? あまり得意じゃないんだ」
と気まずそうだった。
「でも、竜司って意外と控えめだよな」
初めて言われた。
「なんかこう……もっと激しそう?なイメージあった……体育会系だし」
どういう偏見だ。
「たしかに偏見だよな。ごめん」
いや謝んなくていいけど。
「いきなりがばっと来るんじゃなければ大丈夫。竜司優しいし」
さっきから激しいとか優しいとか、そこだけ聞くと際どい表現をしてくる。そんな話をした当初はそれなりに気を遣っていたが、やがて互いに慣れていき徐々に遠慮がなくなっていった。そうやって俺で慣れたからなのか、仲間が増えていくにつれ少しずつ、俺からするとスキンシップというほどでもないが、他人に触れられても平然としていられるようになったようだ。仲間に言わせると、本当に最初のうちは肩に触れるだけで身を固くしていたのが、触れた手からもわかったという。バレバレじゃん。
そんなわけで、俺とモルガナ以外は今も控えめな接触に留まっている。それに多少の優越感がないとは言わない。モルガナは猫だしな。
触れられるのは得意ではないが、仲間と居ると安心するとしばしば俺や他の仲間に言っており、アジトが屋根裏と自分のテリトリーであることもあってか、この頃から時々仲間たちの前でもうたた寝をするようになった。気の張る生活をしているからこそ貴重な時間なのかもしれない。集合待ちの時、特に予定はないが適当に集まってだべってる時、本人は「体力温存&回復」といって寝る。たしかにパレスやメメントス、異世界での活動は疲労が溜まりやすい。トレーニングの成果はなくはないが、人一倍動いている奴だからいくらあっても足りないのかもしれない。異世界に行った日はただでさえ早い就寝時間がさらに早まって、チャットを送ってもほぼ反応がなく、翌朝になるまで返事がない。モルガナに聞いてみるとそんな時間に寝てるのかよと言いたくなる時間には沈没しているようだ。
そんなわけで、仲間内でもリーダーは異世界では頼もしいし、現実でも基本的には優しく頼もしい。本当に困ったら手をさしのべてくれる。ただし普段はすぐ寝てしまったり何してるかわからないいまいちつかみ所のない人だ。という評価である。
普段はどこに行っているかもわからず、部屋は殺風景で趣味がなんなのかも謎だ。どこに行ったかは実は聞けばあっさり教えてくれる。秋葉原で小学生にゲームを教えて貰ったとか、メイド喫茶に行ってみたとか、雨の日は釣りと決めているとか。趣味は探してる途中らしい。探すものなのか、筋トレはどうだと聞いてみたが丁重にお断りされた。走るのは嫌いではないけど趣味にはしたくないとのこと。よくわからん。
そんな謎めいたリーダーであるが、自分たちが近くにいると肩の力が抜けるのがわかるのだから、うたた寝することもいつの間にやら許容されていた。猫が一匹増えたようなものだ。そして時間が来ても寝ていると容赦なく起こされるようになった……。「あと5分……」などというのは許されないのだった。主に参謀殿によって。そしてソファまたは俺の肩限定で、ベッドで寝るのはダメだ。過去にベッドに寝かせた結果、あと5分が10分になり10分が20分と延びたことがあったからだ。あの時は、はっきり目が覚めた後、本人が恥ずかしさに頭を抱えて今後はベッドで昼寝はしないと宣言したからだ。布団の魔力恐るべし。座ったまま寝てれば多分あそこまで寝ないと本人の証言通り、今のところあそこまで寝過ごすことはなくなった。起きなかったら肩をつかまれて揺さぶられるからかもしれないが。「あれは頭がぐらぐらして酷い気分になるからきつい。」平和だ。ひとたび怪盗姿になればあんなにかっこいいのに……とは女性陣からの声だが俺も同意しておく。

2016/12/20